2011年01月18日

価値観の問題

 幼稚園の時に母の両親と同居することになり、そののちには下の弟も生まれ、7人家族になった。祖父母にとって初孫だったこともあり、というか結局私たち姉弟以外の孫はいなかったためか、随分と可愛がってもらったように思う。母と祖母の血の繋がった親子特有のケンカ程度はあったものの、賑やかな楽しい家族。

 そんな、どちらかというと恵まれた家庭環境にあった私が、小学校低学年の頃に憧れたのは、ズバリ“一人暮らし”。当時独身だった伯母への手紙に憧れの念を込めて「一人暮らしはどうですか?」としたため、伯母は大爆笑したらしい。因みに小学校の卒業アルバムの「将来何をしているか?」という項目には「どこかのボロアパートで安物の酸っぱいミカンを食べながら、沢山の猫たちに囲まれて暮らしている」と書いてある…。祖母の考えもありペット(犬・猫・小鳥など)禁止だったもんだから、当時の将来の夢は、一人暮らしをして自由に生きたい、と思っていた。人はない物ねだりをする生き物なのかもしれない…。

 中高生になって、叔母夫婦が県内に引っ越して来ると、今度は二人暮らしに強く強く憧れるようになった。畳のみの我が家とは違い、フローリングの部屋にソファ・オーディオセットがあるモデルルームのような落ち着いた静かな空間。夕方になるとアニメ番組のテレビが流れ、常に誰かの会話が飛び交う喧噪の中で過ごしていた私にとっては、理想の生活に思えた。

 こうした価値観は結局大人になってからも大して変わらず、今に至ってきたように思うし、高校生の頃から漠然と思い描いてきた人生設計の中に“仕事を続ける”という概念があった。というより「大学に行くなら奨学金を借りる必要があり」⇒「その返還年月は15年に渡るもの」だったから、「30代後半までは仕事をしなくてはいけない」と思っていた。

 上記の伯母たちも含め、身内に教員の多い環境にいたから「結婚して子育てしながら教員を続ける大変さ」も知っていれば「結婚したけど子どもはいない気楽さ」も知っていた。また、周囲の同世代の友人・知人を見渡して「出産後も働く」大変さと「出産後は家庭に入る」大変さ、のそれぞれを考え、どちらも決めかねているうちに「念願の仕事にも就けたし、いっそのこと、このまま二人きりでいいじゃない?」と思うようになっていた。その一方で「やっぱり子どもはいた方がいいのかしら?」という思いも少なからずあった。

 そんな矢先に、乳がん発覚。が、幸いなことに仕事は続けることが出来た。放射線治療に通いながら、4月から担当することになったピカピカの1年生を見て「仕事と子ども、どちらか1つだけ選べと言われたら、今の仕事かな〜」なんて考えていた。母や叔母は「仕事はいつでも出来るけど、出産にはタイムリミットがあるんだから」と考えていたようだったけど、私の場合は結婚後すぐに出産しなかったからこそ、今の仕事に就くチャンスがあったと思うから。よく「出産にはタイムリミットが」っていうけど、広い意味で捉えるなら、タイムリミットがあるのは出産に限ったことではないし、出産を差し置いてでも、その時にしか出来ないことってやっぱりあるんじゃないかな、と思う。

 病気発覚後、せっかく妊娠するチャンスが到来したのに、結局は仕事を優先してきたことに悩んだ時期もあった。「子ども相手の仕事をしているのに、どうして自分は子どもが欲しいと思えないんだろう…?」って。でもある時から「子どもが欲しいと思えないんじゃなくて、それ以上に大事なことに巡り合えたってことじゃない?」「散々転職を繰り返してきたけど、ここまで情熱を注げる仕事に就けたんだから、これはこれで幸せなことなんだよ!」と思えるようになり「放射線治療していた時に担当してた1年生たちも、もう3年生。このコ達も成長した姿を振り返ったら卒業式には泣いちゃうかも」と思っていたら…今度は妊娠が発覚した。
posted by スマイリー at 16:50| 子どもについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする